エスハポンインタビュー | 歌舞伎役者 坂東彌十郎
ヨーロッパ公演としてパリ、ジュネーブに引き続き、5月21日、22日にマドリードにて公演を行った坂東彌十郎。スペインでの歌舞伎の舞台としては30年振りとなる今回の公演。1987年に三代目市川猿之助が行ったマドリードの歌舞伎公演にも参加した彌十郎は、再度マドリードで舞台に立つのがその夢の一つだったと言う。
30年の時を超えてマドリードを再訪した坂東彌十郎の思いを聞いた。
彌十郎さんは、どのように歌舞伎の道に入られたのですか。
うちの家系は代々歌舞伎役者をやっていたこともあり、小さな頃から自然に歌舞伎を観ていて、それが楽しくて自分の意志で歌舞伎役者になりたいと思いました。今回の公演に一緒に来ている息子(坂東新悟氏)も同じだったと思います。
歌舞伎役者の毎日とはどのようなものなのでしょうか。
若い頃は日本舞踊、歌、三味線等の楽器の稽古を沢山します。そこでしっかりと基礎を作ることが大変大事です。
時々、公演中はお酒を断つのですか?と聞かれることもあるのですが、そういう訳でもありません。日本ですと歌舞伎の一か月の公演の場合、25日間の舞台があり、その状態が3年間続く事もあります。
そのような状態なので公演中でもお酒を頂くような席もありますが、自己管理には十分気を付けるようにしています。
今回の歌舞伎公演のために、何人の方が日本から来ておられるのですか。
今回は日本から27名のスタッフが来ています。役者さんが5名、楽器の演奏家が5名、鳴り物と呼ばれる太鼓や笛の演奏家が4人、その他衣装1名、床山さん1名、大道具6名、照明、舞台監督、制作スタッフと言うところですね。それから今回は江戸文字の職人の方が一緒に来て下さっていて、公演会場にて実演販売をする予定です。
人数が多いようですが、歌舞伎の舞台を行うには、これが最低限必要な規模です。舞台の道具も船や飛行機で運ぶ必要がありますし、かなりの量になるのでそれなりの費用が掛かります。
歌舞伎を海外で公演するのが簡単ではない理由の一つはそれだと思います。
今回はマドリードの前に、パリとジュネーブで公演を開催されましたね。いかがでしたか?
海外で歌舞伎をやるからには、やはりできるだけ多くの現地の方に見て頂きたいなと思っていますが、その通りになって嬉しかったです。パリではカーテンコールが5回もありました。
海外公演では字幕を付けたり、音で解説を付けたりしながら公演するケースもあるのですが、それをやると字幕や説明に気を取られてしまって、お客様の気持ちが舞台から離れてしまうことがあるので、今回の欧州公演ではそれは止めました。その代わりに舞台の中で歌舞伎のレクチャーの時間を作って、お客様に歌舞伎について解説します。
これがパリ、ジュネーブでは大成功でした。マドリードでも同じ方法で公演します。
歌舞伎に対する予備知識のないスペインの方に、歌舞伎のどんなところを特に観て頂きたいですか?
歌舞伎の知識のないスペインの方でも、準備がなくても楽しめると思います。フラメンコの予備知識のない日本人でも、フラメンコを楽しむことができるように。フラメンコの歌の意味は聞き取れなくても、日本人もフラメンコを観て、すごいなと思って楽しめる訳で、演劇と言うものはそうやってお客様に伝わるものなのだと思います。
理屈で観るのではなく、心で観て欲しいですね。
歌舞伎は日本の伝統芸能の一つですが、変わっていくべきと感じておられる部分はありますか?
歌舞伎は400年以上の間に、伝統的な部分を継承しつつ、どんどん変わって来ているんです。
良く比較されるのですが、能・狂言は古典を守って来ているものです。それはそれで素晴らしいし、それがなぜ可能だったかというと、能・狂言は貴族や武士という支配階級のものだったから、それでやっていけたのですね。
それと比較して歌舞伎はあくまで商業演劇ですので、お客様が入らなければそれで打ち切りになります。ブロードウェイと同じで、三日間で止めることもあれば、ロングランになることもある。ですから歌舞伎は常にいろいろと新しい要素を取り入れて来ているんです。
丁度30年程前に、新しい試みとしてスーパー歌舞伎が始まりましたが、その頃の歌舞伎も今は既に古典として受け止められています。ですから歌舞伎はこれからも変わって行くと思いますし、基本をしっかり勉強した上で、新しい要素を取り入れる柔らかな頭があれば、歌舞伎は今後もつぶれないだろうと思っています。
このような歌舞伎の海外公演を今後も続けていかれますか。
30年前にマドリードでの公演に参加して、また来たいと思っていましたが、今回やっとその夢が叶いました。今後もこのような海外での歌舞伎公演は、単発ではなくて、線として将来も是非繋げて行きたいなと思っています。
坂東 彌十郎 / Yajuro Bando
往年の銀幕の大スターだった初代坂東好太郎の三男。
昭和48年5月 歌舞伎座『奴道成寺』の観念坊で坂東彌十郎を名のり初舞台。
昭和53年2月「文七元結」の鳶頭役で名題昇進。
昭和58年から15年間、三代目市川猿之助の門下に入り、その間、猿之助公演の他、坂東玉三郎演出「なよたけ」(東山紀之主演)や松平健公演などにも出演し、海外公演にも度々参加。
猿之助一門の若手で構成する21世紀歌舞伎組のメンバーとして活躍。
猿之助演出のオペラ「コックドール」等で演出助手を務め、坂東玉三郎の「夕鶴」では演出もした。
近年ではコクーン歌舞伎、平成中村座等、十八代目中村勘三郎との共演も多く、平成中村座の海外公演にも参加。
【受賞歴】
昭和59年 歌舞伎座優秀賞
平成10年 歌舞伎座賞
平成10年 眞山青果賞奨励賞
平成26年3月 国立劇場優秀賞受賞
公式サイト:http://www.yagonokai.com
公式ブログ:http://ameblo.jp/yaju1956/
Facebook:https://www.facebook.com/yajuro.bando
Twitter:https://twitter.com/yajurobando
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